Field Report Archive
千里ビデオの代表が現場で印象に残ったことを写真やビデオキャプチャーで綴る写真日記
(webへの公開は制作会社、クライアント、出演者の許諾をいただいておりますが二次利用はご遠慮下さい)

厚生年金会館 07/22(Sat)

 金土の二日間の現場は、大阪厚生年金会館大ホールで2カメによる中継でした。
 華道のお家元によるイベントでの中継と送出です。収録はでなく、ライブ映像を大型スクリーンに映し出します。手元の動きや、客席から見えない部分がステージ上のスクリーンに映し出されます。ゲストコーナーはテレビでよくコメンテーターをされている作家の先生の講演でした。二日間の催しは大盛況で終え、明日は久しぶりの休日と思いきや、急遽音源の編集が入り、今週も休みなしです。
 余談ですが、今巷で話題のシャープ製携帯電話の「みられまくっちゃ」のバグの話。たまたまスタッフがシャープ製のヴォーダフォンを持っていたので試してみました。
 「みられまくっち」まで入力し、小さい「ゃ」を打ち込むと一瞬でフリーズしてしまいました。一度フリーズすると電源ボタンを含むすべてのキーが利かなくなります。強制終了は裏蓋を開けて一度バッテリーを外すことで可能です。とりあえずこれで復帰して、特に問題なく使用できますが、他にも面白いバグがあるかもしれません。みなさんも一度試してみてはいかがでしょうか。ただし強制終了後、正常に使用できるかどうかは保障出来ません。





 
早朝の撮影 07/07(Fri)

 早朝の撮影で大阪大学医学部へ行ってきました。七夕の今日は曇り空ですが、撮影には好都合です。サイバーショットR-1にハンドストロボを補助にしたオープン撮影は予定通り終了しました。6時に出発し医学部までは約5分という近場です。8時には仕事が終わり、帰りは通り道にある珈琲館でモーニングです。たまには朝飯前の仕事も良いですね。





 
打合せの日 07/04(Tue)

 商品紹介のVP撮影が複数決まり、一日中打合せに走っていました。
 東大阪のメーカーさんに始まって、最後は西区の江戸堀と京町堀です。江戸堀はむか〜し昔、笹邊が勤めていたスタジオがあった場所で、土佐堀や京町堀には今も多くの取引先があります。
 少し時間があったので靭公園を歩いてみました。ここで撮影したことを懐かしく思い出します。当時は撮影許可の必要も無く、発電機やレフ板を持ち込んでモデルを撮影をしたものです。今なら営利目的の撮影は難しいかもしれませんね。





 
最近よく見ます 07/01(Sat)

 ケーブルテレビで最近よく見ます。昨年スタジオで撮影したものとモデルルームで撮影したものです。一日何度も流れれていて、事務所にいるときはついつい見てしまいます。
 ケーブルテレビといえば、最近ハイビジョン対応のハードディスクレコーダーを追加契約しました。ダブルチューナーになっていて、同時に別な番組を2つ録画できるようになっています。残念ながらハイビジョンの録画容量は20時間です。どうしてもHDで保存したい場合はD4コンポーネント信号をHD-SDIに変換してDVCPROHDにコピーするしかありません。ただしコピーしても見る時間がないので20時間もプールできれば十分ですね。





 
吃驚茱萸 06/29(Thu)

 納品で豊能町へ行ってきました。
 そこで戴いた吃驚茱萸←(ビックリグミと読みます)がとても美味しく、少し頂戴しました。茱萸も昔は里山のあちこちにありましたが、この吃驚茱萸:別名ダイオウグミ(大王茱萸)はそう多くは無く、子供心に憧れでした。グミというと今の子供たちはグニャグニャしたグミキャンディーを思い浮かべますが、これは果物のグミです。また、茱萸を知らない人には「地中海名産のアセロラの日本版です」と説明します。味もアセロラドリンクとよく似ています。



 
USJで送出 06/10(Sat)

 ユニバーサルスタジオジャパンの33番スタジオでV出しをして来ました。7700ANSIのプロジェクターにDVCPROの素材を出しますが、バックアップはDVCAMで行いました。VTRのコントロールはPanasonicのAG-A800を使用し、QUE点を編集プログラムのIN点としてマルチイベントとして登録します。
 DVCPROはAJ-D450、日本国内では不可になっているDVCAM再生ですが、海外モデルのためにDVだけではなくDVCAMも再生できるようになっています。DVCAMの編集用VTRであるDSR-2000やDCVPROのAJ-D455もスタジオで使っていますが、AJ-D450は重量が軽くて持ち出すには便利です。
 黒にフェードアウトするためのスイッチャーはPanasonic SW-350を使用しました。全チャンネルフレームシンクロナイザーを装備した10bit処理の高性能モデルでコンポジット信号での画質劣化も極小に抑えられています。プロジェクターでの送出で必需品は双眼鏡です。プロジェクター側からスクリーンのフォーカスを調整するためには10倍程度の倍率が便利です。手持ちでの使用にはペンタックスの8×40、三脚に付ける場合はニコンの10×50を使用します。また、映写距離が30mを超える場合は射撃やバードウォッチングで使うスポッティングスコープを使用します。今回のイベントは映画関連のものでしたが、タイムコードを編集機に登録したことで、全ての送出タイミングを外すことなく出すことが出来ました。
 この日は14時に終了し、夕方からのHVR-Z1JによるVP撮影に向かいました。2つの現場は大変ですが、時間がずれてくれたことで非常にスムーズに掛け持つことが出来ました。翌日は芝居の収録があり、その夜にVPの編集を終えて朝一納品ということで、何かと忙しいこのごろです。

 

 
近隣の公園 06/08(Thu)

 千里ビデオサービスの近くの公園も初夏らしくなってきました。事務所から300mほどのところに池の有る公園が造られていて、花や鳥たちを楽しむことが出来ます。
 徹夜明けの時には気分転換に公園を散策するのもよいでしょう。ボーっとした脳が緑の刺激でよみがえります。

 

 
舞踊 06/05(Mon)

 昨日はメイシアターで市主催による舞踊発表会の収録でした。
 土曜日リハーサル、日曜日本番の二日間で、2CAMスイッチャーによるEFP収録です。
 かれこれ15年以上前から撮影を担当していて、以前はベーカムで収録していましたものが、ここ何年か前からDVCAMで収録しています。また、編集もリニアからノンリニアに変わり、仕上がりはVHSからDVDに変わってきました。しかし、ベーカムを使わないわけではありません。万が一に備えて、バックアップはベーカムが回ります。デジタルビデオで稀に生じるブロックノイズはベーカムでは起こらず、過大な音声レベルに対しても非常に強力です。バックアップを使うことは10回に1回も無いのですが、やはり万全ということを考えると必要です。
 出演者にとって、一度しかないステージですから、収録事故は絶対に避けなければなりません。





 
あえて旧製品 06/02(Fri)

 代理店に発注していたHDVハイビジョンのVTRが到着しました。
 ただし、新製品ではなく、あえて旧製品を選びました。
 HVR-M10JというVTRですが、新製品のHVR-M25JとM15Jという機種が発売され、生産完了になっています。
 なぜ旧製品かといえば、
 
 1.液晶が大きい
 2.キャメラと同じリチウム電池で駆動できる
 
という2点です。ロケで使う場合は、やはりバッテリー駆動が条件になり、新製品のM25JはAC専用、M15JはACアダプターによるDC駆動ですが、バッテリーを取り付けることが出来ません。たとえ外部バッテリーで駆動しても、液晶パネルが内臓されていないのです。
 ということで、最終ロットのM10Jを手に入れました。HVR-Z1Jで収録する際にIEEE1394でM10Jにもバックアップ収録や、リレー録画が出来ます。そして液晶はM25Jの
 
 画面サイズ:6.8cm(2.7型)総ドット数:211,200にくらべて一回り大きい
 画面サイズ:8.8cm(3.5型)総ドット数:250,000になっています。
 
 ロケでの使用が多い千里ビデオサービスではやはりフィールドに最適化されたM10Jがよいと考えました。そろそろ中古も出回っているようですが、やはりメーカー保障付きの新品だけれども旧製品は魅力たっぷりです。
 こういうことばかりを書くとソニーからクレームが来そうですが、M25JにはM10Jにはない新機能が追加され、さらにラージカセットも使えるようになっています。4時間半の長時間物をハイビジョンで収録出来るオンリーワンの製品です。また、一つのVTRで全てのサイズのHDV〜DVCAM〜DVを兼用出来ることもいいことです。
 次回はM25Jの購入ですが、友人が初期ロットを購入たので、結果を見た上で発注をしたいと思います。





 
HNKはスゴイ 05/29(Mon)

 昨日「NHKアーカイブス」で「柿田川水中紀行」を放送していました。なにも考えず地上波デジタル放送で見ていましたが、なんとこの「柿田川水中紀行」は1988年制作の番組なのです。放送衛星BSー2でMUSE方式による実験放送が開始されたのが1989年(平成元年)で、ハイビジョン試験放送開始は1991年11月です。ということは、この「柿田川水中紀行」はそれ以前に収録されたということです。それはハイビジョンカセット型VTR(UNIHI)が開発された1989年よりも以前なのです。
 1988年は笹邊が千里ビデオサービスを設立した翌年で、業務用はまだUマチック全盛でした。放送用も1982年に発売されたベーターカムがメタルテープのベーターカムSPになった(1986年)ばかりです。そんな頃にこの番組はハイビジョンで収録されていたということです。ちょうどその頃、機会があってロケ中のハイビジョン中継車を見ましたが、中継車からは腕ほどもあるケーブルがキャメラまで延びていました。
 様々な不祥事で話題に事欠かないNHKですが、やはり国営放送はすごいですね。こういう最先端のことをやっていてくれれば納得して受信料を支払えるんですけれどもね。
 関連リンク ハイビジョン番組制作の20年





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